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死後の意識は2次元空間に進入する、意識は永遠に消えない理由とは?

 

明日の朝、そのときに目覚めるあなたは、本当にあなたなのか?

私たちが死んだ後、本当にもう二度と目が覚めることはないのか?

このような問いに対し、最新の研究が人類の常識を覆す衝撃の発見をしました。

 

私たちは誰もが、いつか必ず死を迎えます。

人が死んだ時、脳の活動が停止し、意識が消滅した様子を外から見て、「死」は全ての終わりなのだと私たちは一般的に理解してきました。しかし、近年の一部の研究は、私たちの「死」に対する常識を完全に覆しています。

それは、私たちが観察している「死」というものは肉体だけに関わる現象であって、意識は死んだり消えたりすることなく、永遠に生きていられるという見解です。

 

今回は、我々の意識がなぜ永遠に存在できるのかについてお話ししていきたいと思います。ぜひ、最後までお付き合いくださいね。

 

 

 

永遠の謎…「死。」

まずは、「死後、私たちはどうなるのか」という永遠の謎について、新しい視点から考えてみます。

私たちは普通、「死んだら意識は消えて、永遠の闇の中に落ちていく」と想像します。しかし、これは大きな勘違いかもしれません。

 

例えば、普段の睡眠でも、夢を見ない深い眠りを誰もが経験したことがあると思います。その時、数時間の「意識の空白」が生まれますが、私たちはその「空白」を体験することはできません。目が覚めた時、その空白の時間は「無かった」かのように感じられます。

それと似たように、全身麻酔をされた経験のある人なら分かると思いますが、数時間の手術中の意識の空白も、実際には体験することができませんし、記憶に残ることもありません。

 

ここから考えられる重要なことは、「意識のない状態」は、そもそも私たちには体験できないということです。

だとすれば、「死後、永遠の無の中にいる」という考え方自体が、暗闇の中でじっとしている自分を思い浮かべてしまっている時点で、論理的に矛盾しているのです。これを理解した上で、次のステップに移りましょう。

 

死と意識の連続性

既にお話しした通り、全身麻酔中の数時間や夢のない深い眠りの時間は、私たちにとっては「空白」のようなものです。しかし、私たちの意識はこれらの空白の時間を飛び越えて、それ以前の記憶と目覚めた後の体験をスムーズにつなげています。

このようなつながりによって、私たちの意識は常に「途切れのない一本の線」になっています。

この「意識の連続性」こそが、「生きている」ということの核心部分です。

 

死という空白

では、死とは何か?

この考え方では、「死も同じく意識の空白」だと考えます。ただ、睡眠や全身麻酔と決定的に違うのは、この空白が二度とつながらない、つまり、意識の連続性は死によって止まる、という点です。

しかし、この「死という空白」は本当につなげられないのでしょうか?意識の連続性は、本当に死によって止まってしまうのでしょうか?

僕の答えは、「No」です。

一体どういうことなのか、次のような思考実験をしてみるとよく理解できます。

 

思考実験から見る意識の連続性

最先端の医療技術により、「ライフ・デザイン」という夢のような技術が誕生した世界を想像してください。この技術は、人の脳と身体に複雑な改造を行い、望み通りの性格、ひいては記憶までデザインすることができます。

ただ、手術の間は全身麻酔によって、意識は一時的に「空白」の時間に陥ります。

これを踏まえて、ちょっとしたストーリーを考えてみましょう。

 

リュウのライフデザイン 目覚めのストーリー

 

新たなリュウとしての目覚め

私たちの主人公「リュウ」は、今までの人生に失望し、ライフ・デザインを受けることを決意しました。クリニックはリュウの意向にしたがって、彼の体をより強く、見た目をより格好良く改造しました。

数日間の全身麻酔状態から目覚めたリュウは、希望通りの新しい体で新しい生活を始められると喜んでいます。もちろん、この時のリュウは、ただ全身麻酔の空白を飛び越えただけで、意識の一本線は途切れていません。リュウの意識の連続性が続いているということは、すなわちリュウは生きています

 

ケンとしての目覚め

その後、新しい生活がしばらく続くと、リュウは物足りなさを感じ、さらに大きな改造を決心しました。今度は、自分の性格や記憶まで完全に変えてもらおうとクリニックに依頼したのです。手術の全身麻酔による数日間の意識の「空白」を経て目覚めたリュウは、異なる性格と、クリニックによって書き換えられた記憶を持って目覚めました。もう完全に別人とも言えるこの時のリュウは、自分に「ケン」という名前を付けて、新しい生活を始めます。

 

ここで一度、分析をしましょう。

この時点のリュウに、何が起きたと解釈できるでしょうか?彼の体も性格も記憶も、全て変わりました。したがって、リュウはもう別人となったと言えるでしょう。

しかし、別人になったとしても、リュウは「死んだ」と言えるのでしょうか?

「意識の一本線が途切れているか?意識の連続性は続いているか?」という視点からは、手術前の意識と手術後の意識は繋がっているため、リュウは死んでいないという答えが得られます。たとえ体も性格も記憶も全く別の「ケン」になったとしても、この視点で判断するなら、とにかく意識の連続性さえ認められる限り、死んだとは言えないわけです。

 

死と新たな人格の目覚め

では、ここからは思考実験の最後の部分、そしてもっとも重要な部分を見てみましょう。

 

新しく目覚める赤ちゃん

これまでのリュウとは全く別の生活を始めたケンは、ある日、不幸にも交通事故に遭って命を落としました。そして事故の直後、あるところで一人の赤ちゃんが生まれました。

 

一見何の関係もないこれらの出来事についてよくよく考えると、1つの驚くべき事実に気が付きます。

かつて、リュウが全身麻酔という意識の空白に陥った後、ケンという“別人”が目覚めました。そして今度は、ケンが死という意識の空白に陥った後、赤ちゃんという“別人”が目覚めました。

客観的な事実だけを見れば、ライフ・デザインの処置がリュウとケンの間にもたらした現象と、ケンと新しく生まれた赤ちゃんの間で起こった現象はまったく同じです。もし“別人”のケンになったとしても、それ以前のリュウは死んでいないのだと見なすなら、交通事故で命を落としたケンも、同じ理屈で死んでいない、ということになるのです。

つまり、「意識そのもの」さえ途切れることなく存在しているのなら、たとえ意識の“器”が全く別のものに変わったとしても、「意識の連続性=生きている」という視点から、人は死なないという驚くべき結論にたどり着きます。

この線でさらに深く考えてみると、誰かの死と誰かの誕生も、私たちの生活の寝て起きてという過程も、これらは全て同じことで、すなわち、意識は宇宙のあちこちで、様々な形で現れては消え、また現れる、という過程を繰り返しています。いくら各々(おのおの)の意識が現れて消えるとしても、「意識そのもの」はずっと存在し続けているのです。

 

この考え方を本当に理解した先では、「リュウ」という個人は実は独立した存在ではない、ということに思い至るはずです。

むしろ、普遍的な意識が一時的に「リュウ」という形を取っているだけとも言えます。同じように、その意識は「ケン」という形を取ることもあれば、あなたや私、あらゆるシナリオにおける全ての人でもあるのです。

 

 

哲学者のトーマス・クラークはこのような話をしました。

眠りにつく前の最後の意識と、目覚めた時の最初の意識の間には、客観的には時間の空白があります。しかし、人は主観的にその空白を体験することはありません。
同じように、ある存在の死と、別の存在の誕生の間に、たとえ何百万年もの時が流れ、その場所が遥か遠い銀河であったとしても、意識にとってその時間や距離は意味を持ちません。例えるなら、水が蒸発して雲となり、雨となって地上に戻ってくるように、意識も形を変えながら存在し続けているのかもしれません。消えていく意識にとっても、新しく生まれる意識にとっても、その間の時間は「無」として体験されることはないのです。つまり、意識とは、それが何と呼ばれようとも、主観、認識、経験など、絶え間なく生起し続ける現象なのです。
それは、まるで宇宙という大きな舞台で、永遠に続く壮大なバトンリレーのようなものかもしれません。

 

 

科学的視点から考える意識とは

ここまでは哲学的な考え方に基づいて「人は死なない」という理屈を紹介しましたが、この理屈が成立するのかを検討する上で1つ重要なポイントは、意識の存在は果たして脳や体に依存しているかどうか、という点です。もし意識が脳や体に依存して存在しているのなら、体が死んだときに意識も消滅するため、この理論は成立しなくなります。では、これからは科学的な視点でこの疑問について分析していきたいと思います。



「弦理論」

この世界の根本的な仕組みを解明しようとする理論の1つは、「弦理論」です。弦理論が思うには、この世界は私たちがこれまで思ってきた3次元ではなく、11次元もあるようです。つまり、私たちが感知できない高次元の世界が存在しているかもしれないということが示唆されています。

現在では、「弦理論」はあくまで“理論”、もしくは“仮説”の範疇にとどまっていますが、その理由は、今の技術力では3次元以外の世界を探知する手段がないからであって、弦理論自体は既に数学的にその正しさが証明されています。すなわち、理論上、私たちの3次元世界より高い次元の世界が存在し得るのです。これは、意識が脳や体に依存せずに存在できるという仮説の重要な土台になります。

 

ロジャー・ペンローズの「量子脳理論」

 

 

 

 

ノーベル物理学受賞者のロジャー・ペンローズは、「量子脳理論」という興味深い理論を提唱しています。この理論は「人の意識とは何か」を説明するもので、意識は一つの場所や時間に固定されているわけではなく、様々な状態で同時に存在するような不思議な性質を持っていると言います。

 

これは、意識が通常の物理法則を超えた特別な存在であり、必ずしも脳や体に縛られているわけではないことを意味します。ペンローズは意識がどのような場所、もしくは空間に存在しているのかについて具体的に言及していませんが、先ほど説明した弦理論も加えて考えると、意識は高次元の世界に存在しているという可能性も考えられます。いずれにせよ、ペンローズの量子脳理論に従えば、人が亡くなった後も、その人の意識は別の形で存在し続けることができる、という可能性が浮かび上がるのです。

 

「ホログラフィック宇宙理論」

一方、死後の意識は3次元より低い2次元の世界に移動するという可能性を提示した理論も存在します。この理論は「ホログラフィック宇宙理論」と言い、簡単に言えば次のような話です。

今あなたが手に持っているスマートフォンを見てみましょう。スクリーンは平らな2次元なのに、その中には立体的な3D映像を表示することができます。

 

この理論は、私たちの宇宙も同じような仕組みになっているのではないかと考えています。つまり、私たちが日常生活で経験している、高さ、幅、奥行きのある3次元の世界は、実は2次元の世界から作り出された映像、もしくは幻影のようなものかもしれないということです。この考え方に基づくと、死後の意識は全てを作り出しているもっと根本的な場所である2次元の世界に戻ります。

高次元であれ、低次元であれ、これらの理論に共通しているのは、人の意識というのは脳が作り出すものではなく、宇宙そのものが持つ基本的な性質の一つだという点です。つまり、意識は私たちの体や物理法則に縛られることなく、より深い次元で存在している可能性があるということです。

 

これらの理論の裏付けとして、臨死体験という現象が挙げられます。ニューヨーク大学医療センターの准教授兼医師のサム・パルニアは、救命救急科の専門医として長年キャリアを重ね、数多くの臨死体験を研究していました。

 

サム・パルニアによる臨死体験報告

 

 

 

 

 

 

 

サム・パルニアの報告によると、心肺停止などの重篤な症状に陥った状態から蘇った一部の患者は、いわゆる「体外離脱」を体験したといいます。

患者の話によると、体外離脱をしている時は、自分自身の姿や家族を上から見下ろしていた、もしくは地球自体を俯瞰(ふかん)していたそうです。中でも一部の患者は、物理的に考えれば絶対に見えるはずのない、自分とは別の部屋にいた医師や看護師の顔、病室の天井裏に置かれていた物の形状や色などを、意識が戻った後で正確に復元することができました。

これは、体外離脱がただの幻視ではなく、その人の意識が五感を通さずに周りの環境を観察することができたということを意味します。これは意識が体を離れて別の次元に行く途中で体験したことだという解釈もありますが、いずれにせよ、これらの理論や報告から、意識は脳や体に依存せずに存在することが可能だと示唆されています。

 

真実の目 考察

ここまでは「死」に関する一般的な考えを覆すいくつかの理論を紹介しましたが、ここからは、僕の個人的な意見を交えながら、もう少し補足したいと思います。

 

明日はサバンナ…?意識の目覚めと存在意義

まず明確にしておきたいのは、今回ご紹介した理屈は、死後、意識が突然新しい存在の中に宿るという「輪廻転生」の考え方とは全く別のものだということです。

輪廻転生の一般的な説明では、「私」という個人の意識が、死後に別の体に移るとされています。しかし、今回の考え方は、個人という枠を超えて、私たち一人ひとりが、意識そのものとして存在しているという、私たちの本質を捉え直すような世界観を示しています。

 

この「意識は死なない」という考え方は、死を恐れる人々には安心感を与えるかもしれません。同時にその一方で、ある人にとっては不安も生じます。なぜなら、朝目覚めた時、私という存在が、前の晩に眠りについた時と同じ存在だということをどうやって保証できるのか、わからないからです。

明日の朝、あなたはアフリカのサバンナを走るシマウマとして目覚めるかもしれません。そうでないと誰が約束してくれるのでしょうか。

この世界には美しい体験だけでなく、恐ろしい苦しみも存在しています。もし私たちが本当に「意識」として存在し続けるのなら、それら全ての体験を共有することになります。

ある意味、これは非常に恐ろしいことですが、もしかしたら、「全てを体験する」ということが、意識の存在意義なのかもしれません。

 

量子力学と意識

大胆にもう一歩、話を進めてみましょう。

普通、私たちは「宇宙が先にあり、その中で生命が誕生した」と考えます。しかし、「実は生命の方が宇宙を作り出している」、もしくは「意識が宇宙を作り出している」という可能性はどうでしょうか。

一度聞いただけでは不可解に感じられるかもしれませんが、これまでのいくつかの動画で語ってきたように、量子力学における様々な実験はこのようなことをも示唆しているのです。

全ての物事、ひいては時間や空間といった概念までも、私たちの意識によって作り出されたとすれば、意外にも多くのことに説明がつくのです。

このように考えると、「死」というものはむしろ、深い眠りから目覚めるようなものなのかもしれません。

 

それでは、本日もお読みいただきありがとうございました。

 

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【YouTube】意識は永遠に消えない、人は死なない理由とは?

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